今日はすっきり目覚めたので朝から更新していきます。
奈良時代は律令制度や平城京を建てたり、荘園ができて地方にたくさん私有地を持つ人達が現れたりしました。
その中でも文化が発展していき、今でもある文化が登場します。そのことについてみていきましょう!
目次
- 天平文化
- 東大寺
- まとめ
天平文化
奈良時代は天皇中心に政治を行ってきました。
その中でも天皇だけでは政治を回すことはできないので、天皇の側近たち、今で言う内閣的な存在が
貴族
です。
この貴族を中心に政治がなされていたわけですから当然貴族の暮らしは優雅に暮らすことができていました。
そんな人達は衣食住には困らないので娯楽を考えます。それが文化につながっていくわけです。
例えば
万葉集
これは貴族を中心とした人達が和歌をつくりそれをまとめたものです。
この時から歌というのは生きる上で大切だとされてきたのでしょう。
全部で4500もの和歌がまとめられています。
こういったことがあり、日本の文学が大きく発展していきます。
他にも
古事記
日本書紀
風土記
などがこの時代につくられました。
私はこの文化こそ今の日本人が頭がいいと言われる所以のものだと思ってます。
理由は量です。
簡単にですが、
古事記や日本書紀は奈良時代前の歴史について物語的に書いています。いわゆる神話です。
これで天皇がいかにすごいかを記したとも言われています。
風土記は日本各地の風土や地理について書かれているものです。
そんなものを奈良時代から書けるなんて、、しかも相当な量
古事記3巻、日本書紀30巻
であったことからも日本人の賢さが滲み出ている気がします。
こうして文学が発展していきますます人々の生活がより人間らしくなっていきます。
東大寺
文化の発展はこれだけでは終わりません。
奈良時代で忘れてはならないのが
東大寺
です。
何かというと大仏をつくったのです。
この奈良時代は仏教で世の中を治めていこうという考えが流行りました。
この大仏をつくろうとしたのにはわけがあるのです。
災いを鎮めるため
当時、天然痘や地震などと人々が相次いで亡くなっていき、誰を頼ればいいのかわからなくなっていたのです。
そのため当時の天皇、聖武天皇が前から遣唐使などを、送って交流のあった唐、今の中国に相談をしたところ
うちは仏教の信者をつくって世の中の安寧をはかっている。
と言ったことを聞き、すぐさま大仏をつくり始めたということです。
でも東大寺に今もあるあんなにでかい大仏をどう作ればいいか分からないので、大仏づくりのスペシャリストに来てもらいます、それが
行基
です。
彼の支援もあって国総出でつくりあげていき、20年後に完成します。
それと奈良の東大寺を総本山として各地にも仏教を崇拝してもらうべく、国分寺を建てていきます。
それにより信者が増え、災いからもだんだん逃れることができ、天皇さんがつくった仏教すげえ、天皇さんのいうこと間違いなし。
となるのです。
さらに仏教をもっと日本各地に轟かせるため仏教のスペシャリストを唐から呼びます。
鑑真
です。
この人は2回も日本に来るのに失敗して失明してしまいます。それでも仏教を日本に教えてにきてくれたのです。
これで完全に日本の人々は
仏教信者
になるのです。
こうなれば、天皇さんは仏教を崇拝させておけば人々はついてくるというふうになり、天皇中心から仏教中心にし、文化を発展させていきます。
それが今でも残っているのですから奈良時代は偉大ですよね。
さらにそれだけではなく、天皇さんは自分の力を示すためにありとあらゆる宝物を手に入れようとします。
その宝物庫にしたのが東大寺の近くにある
正倉院
です。
ここにはたくさんの当時の宝物が眠っています。
これは唐などの国々からもらったものでそれを持っているということは他の国からも敬われているということです。
だから人々は天皇さんのことをより凄い人だと認識するのです。
天皇さん恐るべしですね。
まとめ
奈良時代の文化は大きく2つ
貴族が娯楽を楽しむようになり
文学が大きく発展する。
その中でも
万葉集、古事記、日本書紀、風土記
もう1つは
東大寺をつくったこと。
人々が仏教を信じることで災いから逃れられるようにしたのです。
東大寺を総本山として各地に国分寺を建てたことで人々が仏教に対する気持ちがより凄みを増していきました。
天皇さんは仏教中心の文化にしておけば人々はついてくると確信したのでしょうね。
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