初心者向け歴史教えます(平安時代前編)

奈良時代は人々が恐れる災いを鎮めるため仏教を広めていき、より天皇の力が強くなっていくと思いきや、そうではなかったから奈良時代が終わって平安時代にいきます。

ではどうして奈良時代が終わったのか、平安時代がどんな時代だったのかをみていきましょう。

目次

  • 奈良時代終了の原因
  • 貴族中心の政治
  • 貴族達から生まれた文化

奈良時代終了の原因

奈良時代の終了の合図はとても簡単です。

都を移したから

です。

ただ、単に都を移しただけではありません。

色々と理由がありますが、大きな理由は

農民などの一般人が職務放棄したからです。

どういうことかというと

天皇は災いから逃れるために大仏を作ったり、各地にお寺を作ったりしろと命令します。

農民は災いから逃れるため、一生懸命お寺の建築作業をしていきます。

しかし、この建築作業はずいぶんと時間がかかる作業でした。しかもお金もめちゃくちゃかかる。

ここで天皇はお金をどうにか工面しようとし、農民への税を重くしていきました。

結果、税を納めることができなくなった農民は仕事そっちのけで逃げ出します。

そうするとお寺は作れなくなってしまいます。

そして税も納めてくれないので、天皇の生活がしんどくなってきます。

その弱った天皇に対し、貴族達が舐め出します。こうなったらもう終わりが近いですよね。

農民も離れ、貴族も舐め出し、政治なんてする余裕はないです。

そして貴族との対立も深まっていきもうこんなとこにはいたくないと、天皇が思ったのと、

気分を入れ替えようとし、都を京都にある平安京に移します。それが奈良時代の終わりを意味し、平安時代の幕開けです。

貴族中心の政治

その貴族が政治を牛耳ろうとします。

天皇が口出ししないように、ある方法をある貴族は考えます。

それは自分の子どもを天皇と結婚させて、自分達が天皇と親族関係になればいいという、誰にも文句言われない方法を編み出します。

そして天皇の子孫が、自分の子どもなので、子どもじゃ政治できないし、俺がしたるってなっていくのですね。

このことを

摂関政治

と言います。

そして

ある貴族とは実はだいぶ前に出てきた人物の子孫なのです。

中臣鎌足です。

中臣鎌足は中大兄皇子と大化の改新後、姓をもらっています。藤原です。

そのままずっと天皇の側近として、藤原家は仕えてきたのです。

時代が藤原家中心で回っていたとき、最も藤原家の中でもすごい人が出てきます。

藤原道長

です。

この人はこんな詩をうたっています。

「この世をば我が世ぞと思う望月のかけたることもなしと思えば」

満月が欠けることがないように、自分のこともかけている部分がないと言い、

スーパーテング状態ですね。

こんなことを考えているから結局はやられてしまうんですね。

その内容は後半ですね。

とにかく貴族ありきで進んでいった政治というのもこの詩からもわかりますね。

貴族達から生まれた文化

貴族はとても優雅な生活をしていたので色々な娯楽がまた増えます。

この当時は知性のある人をどうやって決めたかというと、

文字が書くことができるかどうか

です。

この当時作られたのは

かな文字

です。

ここでようやく日本固有の文字が誕生するのです。

そしてそれを利用してまた様々な文化が発展します。

それが、

古今和歌集

です。

他にも

「枕草子」 清少納言

源氏物語」 紫式部

と言った、女性が作品を作って大ヒットさせたりとこの当時では異例の出世ですね。

そして日本固有の文化が発展していったので

国風文化

と言います。

まとめ

奈良時代が終わりを告げ、都を平安京に移すところから始まったのですが、政治の中心には天皇ではなく、貴族がいました。

そしてその貴族の中でも最も栄えたのが、

藤原道長

です。

そしてその貴族が栄えた時期ではたくさんの文化も作られていきました。

かな文字

それによって、たくさんの文学作品が残されるようになりました。

といったように平安時代の前編が終わりです。

個人的には歴史はこの次ぐらいから楽しくなっていくと思っていますので、楽しみにしていてください!

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