初心者向け歴史教えます(室町時代後半)

歴史

室町に幕府を開いた足利家。

しかし、この時代は御恩と奉公が崩壊した後の時代。

それぞれの武士たちが将軍の言うことも聞いてくれない時代でした。

そんな哀しい時代を生きた足利家が残したものを見ていきましょう。

三代将軍 足利義満

最初の室町時代は朝廷が近いこともあり、うまく機能していました。

それは朝廷と足利家が強い結びつきがあり、武士は抵抗できずにいました。

その間に三代目将軍の足利義満は華やかな人生を送りました。

その証拠にある建物を建てました。

それが

金閣寺

です。

この当時、誰も抵抗させないように、自分がどれだけすごいかを示すために作りました。

しかし、これは武士の人たちがむしろ将軍のことを復讐しようとする方へ走ってしまいます。

八代将軍 足利義政

そして時代は流れ、八代将軍足利義政の時代までいきます。

もうこの時代になると、世は混乱期に入っています。

あちこちで武士たちが力をつけ、もはや将軍がいてるといえど、なんの影響力もない将軍へと落ちていきました。

この時に足利義政は現実逃避をしたくなり、たくさん遊んで暮らします。

その時にできたのが

銀閣寺

です。

この銀閣寺は金閣寺の反対側に建てました。

華やかな人生とは違い、哀しき人生という意味もあったのか、

くすんだ、なんとも残念な気持ちになる設計で建てました。

その設計で和の象徴と言える部屋の作りができました。

それが

書院造です。

現在も和室といえばこんな作りですね。

室町時代は儚くて哀しき時代だったのですが、

その分、たくさんの文化が生まれました。

他にも

能、狂言、水墨画

なども生まれました。

これについては詳しくは説明しませんが今も残るものもたくさんあります。

応仁の乱

そしてとうとう現実逃避していた、その現実が潰れていきます。

9代目将軍の後継争いが勃発します。

その争いは有力な武士たちが行います。

有力な武士たちは大名と呼ばれるようになっていきます。

そしてこの大名たちの争いは将軍に近い人たちで争われるものでしたので、京都の付近だけで行われました。

これが11年続いたのです。

これこそが

応仁の乱です。

その間にどうなるかわかりますか?

他の地方の大名たちがメキメキと力をつけます。

応仁の乱後、もはや将軍が決まったとしても、もはや将軍が

右向け、右。と言っても誰も無効とする大名はいなくなってしまったのです。

これがきっかけで世の中は戦国時代の突入です。

まとめ

個人的には、とても可哀想な世の中だったと思います。

天皇と武士たちに挟まれ、うまく政治ができなかった将軍、

足利家はもう現実逃避したくなる気持ちはとてもわかります。

だから

この時代は、人の人生そのものだなと思います。

一度金閣寺から銀閣寺を歩くとそう言った気持ちにもなれるかもしれませんね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました