源頼朝が鎌倉幕府をつくり、御恩と奉公という制度を確立させました。
でもこの制度が確立できなくなっていきます。その理由が鎌倉時代の後半にわかってきます。
では、鎌倉時代を見ていきましょう。
北条氏
源頼朝が亡くなった後、政治の実権を握ったのが北条氏でしたね。
北条政子が御家人をまとめたんですね。その時の言葉が、
頼朝のおかげで、ここまであなた方はくることができた。
全ては亡き頼朝の御恩。その御恩は海よりも深く、山よりも高いものです。
今こそ御恩を返す時です。
と御家人たちに言って、この当時頼朝の死の隙を狙っていた朝廷側の反乱を治めたのです。
それにより、政治がなお鎌倉幕府の元で行われ続けたのです。
それからは北条氏が暫くの間実権を握ることになります。
こんなことが起こらなければ。。。
元寇
北条氏が実権を握っていたある日のこと。
突然嫌なニュースが舞い込んできます。
元が日本に来る
なぜ元がうちに来るのかはよくわかりませんでしたが、どちらにせよこれは大変なことでした。
当時元(今のモンゴル)は世界でも最強と言われるほどの国でした。理由は巧みに操ることができる騎馬隊でした。その元が日本にやって来るというのだから、さあ日本は慌てますね。
ちなみに元は日本を自分のものとし、東アジアを制圧しようとしていたそうです。
そして元から一番近い九州に来るということだったので、そこに大量の御家人を向かわせます。
とうとう元がやってきました。
こちらが不利だったことが少しありました。
向こうは最強と言われるだけあってある秘密兵器を持っていました。
てつはう
この武器は火薬を詰めて投げて爆発させるものなので、手榴弾に似ています。
これで元は日本をひれ伏すことができると思っていました。
しかし
そうはうまくいきませんでした。
日本人の懸命な戦闘により元に余力が残っておらず一度退散します。
ここで生まれた言葉が
一所懸命
です。
後もう一つよく考えると、陸に上がりさえされなければ、勝てると思っていた日本は陸にあるものを作ります。それが
防塁です。
海岸沿いに石を積み立て、陸に上がることができないようにしました。
この二つの方法を使い、世界最強の国と五分に戦うことができたのです。
しかし、そんなことではへこたれない世界最強の国、元。
もう一度攻め込んで来るというニュースが。
日本は正直もう勝つ見込みがありませんでした。
なぜなら、1回目の戦闘でほとんどの御家人が疲弊していたからです。大幅戦力ダウンです。
そしてとうとうやってきます。
もうダメだと覚悟もした日本ですが、ある奇跡が起きます。
元が来航中に暴風雨に見舞われ、向こうの船が大打撃を受けたのです。
これがきっかけで元は二度と日本を攻めに来ることはなかったそうです。
この二度の元が攻めて来ることを
元寇と言います。
理由はどうであれこの危機を乗り越えた日本。
一件落着と思いきや、、、
そううまくはいきませんでした。
御恩と奉公の崩壊
元寇を乗り越えた日本。
でもここで問題が発生します。
それは御家人の御恩問題です。
御家人は一所懸命、将軍のために働きました。
だから御恩が当然もらえて当たり前の立場です。
ただ、その御家人の数が異常に多かったことから御恩を全員にあげることができなくなったのです。
そうなるとこの制度は崩壊します。
御家人が次々と不満を漏らし、将軍のことを信用しなくなります。
そうやって御恩と奉公が崩壊してしまいます。
こうなるともう将軍としての機能が果たせません。
北条氏は都落ちを余儀なくなれてしまいます。
まとめ
北条氏が頼朝死後も奮闘しますが、元寇により、御家人が疲弊し、御家人大量投入したために、御恩と奉公の制度が崩壊してしまいます。
個人的には、すごく頼朝が頑張ってきたのに残念だなって思います。
だってもし、元が攻めてきてそのまま元に制圧されていたら、今の日本の歴史は大きく変わっていたことだろうに。もっと個人的には評価されていいのになと思います。
こんな自分の地位よりも、日本を守る精神が今の日本の政治家にも必要なのかなと思います。
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