古墳時代は古墳の大きさをめぐる争いでしたが、さらにそれだけではなくやはり武力をもって争うことが増えてきました。
その争いから飛鳥時代へと幕明けていくのです。
ではその飛鳥時代を見ていきましょう。
目次
- 権力争い勃発
- 聖徳太子現る
- 聖徳太子が行った政治
- 争い再び
- まとめ
権力争い勃発
古墳時代に大和朝廷が誕生したのを思い出してください。
大和朝廷では、政治を行っていましたね。
そこでの権力者は当然土地をたくさん持っているリーダーたち。
そしてその周りでも自分が一番になって日本を動かすんだとばかりに張り切る輩たちがたくさん出てきます。
それを王権争いと言います。
その中でめちゃくちゃ強いリーダーたちが出てきます。
その人たちを豪族と言います。
豪族の中でも二つのグループが名を世に知れ渡らせます。
それが
物部氏と蘇我氏です。この二つの豪族は中国から伝来した仏教を自分のものだ、これがあればみんな仏教を教えた私たちのことを崇拝してくれる。はずだと。
物部氏vs蘇我氏のバトルです。
結果的に蘇我氏が勝利します。
これで蘇我氏が仏教を教える権利、つまりみんなの信頼を得ることができたのですが、これがまずかったのです。
なぜかと言うと、王権争いは終わっておらず、王、つまり天皇は蘇我氏ではなかったのです。
これに蘇我氏は
「なんで、みんなの信頼を得たのに、自分たちが一番じゃないんだ」
と腹を立てます。
そして蘇我氏は天皇を無視してやりたい放題するのです。
当然、そんなことをしていると人間は腐敗していきます。
結果、人々からの信頼を失います。
聖徳太子現る
人々が蘇我氏に困っているとそこに救世主が登場します。
聖徳太子です。
この真ん中の人ですね。
この人、すごい人なんです。
世の中が蘇我氏に荒らされている時に、このままではダメだとあることを提案します。
「天皇中心の世の中を作ろうではないか、そうすれば天皇のために人々が働いてくれるじゃん。」
と言うことで一旦蘇我氏をほったらかしにして天皇中心の政治を作り上げます。
聖徳太子が行った政治
聖徳太子が作った制度は主に三つあります。
一つ目
十七条の憲法
これは日本で初めての憲法です。
とは言っても、これ、、、、全然効力のない憲法です。
ただ人間の理が書かれているものです。
例えば
怒ってはいけません。
役人は礼儀正しくしなさい。
などと言ったごく当たり前のことが書かれています。
だから必ずしも守っていなかったら何か罰を与えますよ。とはならなかったのです。
でもこれでも当時は画期的なことだったのです。人々は聖徳太子すげえってなっています。
二つ目
冠位十二階
これまたすごい制度を作ります。
この制度は身分や生まれなど関係なく人の能力で自分の立ち位置が決まるものです。
帽子の色でその人がいかに能力を持っているか、偉いかを見分けるようにしたのです。
これにはたくさんの人々のやる気が上がりました。
今までなら頑張っても評価されなかったけど、頑張って成果を出せばどんどん上に上がれる制度ですから、俄然人々はやる気ですよね。
そして評価するのは天皇さん側の人たちですから人々は天皇万歳となるのです。
三つ目
聖徳太子は仏教は素晴らしいものとしていたので、蘇我氏が教えるとかではなく、仏教を崇拝できる場所を作りました。
それが
法隆寺です。
今もなお残る法隆寺は世界最古の木造建築物です。
ここで何が良かったかと言うと、
これだけの建物を人の力で建てることができたと言うことです。
ただすぐにできるわけではないですよね。
そこで考えたのが
「隋から作り方教えてもらおう」
となり、隋に人を派遣します。
それが遣隋使です。その人物こそ
小野妹子
女の人みたいな名前で、男の人です。で話題の。
まあそれはさておき、遣隋使のおかげもあり
技術が劇的に進歩します。
争い再び
これで天皇中心の世の中に変えることができたのです。
がしかし
制度をつくった聖徳太子が死んでしまいます。
政治の要だった人物が亡くなってしまって政治は大パニック。
そこへ、ここぞとばかりにある人物がやってきます。
蘇我入鹿です。
また蘇我氏の人間が政治に首を突っ込んでめちゃくちゃにします。
そこでやりたい放題します。
それに見かねた、天皇側の人間が蘇我氏を倒そうと企てることにしました。
それが
645年 大化の改新
です。
蘇我氏を倒すために企てた計画は二人の人物が大きく関係していると言われています。
中大兄皇子と中臣鎌足
この二人を中心にして蘇我入鹿を殺害することに成功したと言うことです。
この大化の改新で勝った二人は再び聖徳太子にならって
天皇中心の政治を行います。
そしてこの二人は大きく昇進します。
中大兄皇子は天智天皇
中臣鎌足は藤原という姓をもらうことになる(これとってものちに重要)
まとめ
豪族の争いや王権争いをしている中で蘇我氏が物部氏を破り、世は蘇我氏のわがままに逆らえない状態になっていた。
けれどそんな時に救世主現る
聖徳太子だ
聖徳太子は天皇中心の政治を作ることを目標に三つのことを行いました。
- 十七条の憲法
- 冠位十二階
- 法隆寺建立
そして世の中は天皇中心に考えるようになりました。
しかし
聖徳太子が死んだ後、再び
蘇我氏が政治に介入。
当然、政治は大荒れしたので、それに見かねた
中大兄皇子と中臣鎌足を中心に蘇我氏のトップである蘇我入鹿を倒します。
これが645年大化の改新です。
そしてもう一度天皇中心の世の中へと変わっていきます。
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