弥生時代にむら、そして「むら」を束ねた「くに」ができましたよね。
そこから「くに」がもっと大きなものになります。
それを証明するのが卑弥呼という絶対的権力を持っているリーダーが出てきたことですね。
さあ、ここから古墳時代の幕開けです。
目次
- なぜ古墳が作られた?
- 古墳ってどんなものがあるのか(古墳の中のことも)
- 古墳ができたからこその今の日本がある。
- まとめ
なぜ古墳が作られた?
まずはなぜ古墳が作られたのか。
それは「くに」を治めるリーダーたちが関係しています。
自分も「くに」のリーダーになったと思って考えてみてください。
何を考えますか?
「くに」の人々のこと?
食料のこと?
それとも一番偉いからたくさん豪遊できること?
答えは様々ですが、ここでの答えは
「くにをもっと大きくしたい!」
が正解です。
ということは、争いは避けては通れないのです。
でも、弥生時代の人よりさらに賢くなった古墳時代の人はこう考えたのです。
「争わなくてもくにを大きくすることはできないだろうか。」
そう考えた古墳時代のリーダーがあることを思いつきます。
「自分の力を周りのくにのリーダーに思い知らせれば、戦わずして降参するのではないか。」と
その自分の力を示すために作られたのが古墳です。
古墳はリーダーの墓です。
墓を立派にすれば、権力がある!といったことになったのです。
このリーダーの権力を見せることで二つの意見に分かれるリーダーが出てきます。
「こんな立派な古墳を建てることができる人は人望が厚い人なのだろう、僕には敵わないからそのくにの二番手のリーダーにしてもらおう。」
「これぐらいの古墳ならわしでも作ることができるし、なんならもっと大きいものを作れるぞ。」
こうして弥生時代の争いごとから古墳作りに拍車がかかり、一時争いごとが停止します。
なんかアホらしいけど本当にあった話です。
そして古墳は今も残されており、関西にたくさん大きな古墳が今尚残されております。
私が関西人だからいうんですが、やはりこの時から関西人は「自分の方がすごいし。」と見えを張り合った結果なのかなとも思ったりします。
つまり先ほど述べた後者の考え方をする人が多かったのでしょう。(あくまで推測)
古墳ってどんなものがあるのか(古墳の中のことも)
古墳にはどんな種類があるでしょうか。
実は形も様々なんです。
すごく色々ありますよね。
みたらわかるかもしれませんが円墳、方墳などは簡単に作れそうですよね。
逆に前方後方墳や双方中方墳などは難しそうですよね。
どちらを作れば権力が高くなるかもう分かりますよね。
難しければ難しいほど権力は高くなったということです。
だからくにのリーダーたちはこいつの作った古墳はすげえと一目見ただけで分かり、「参りました」となるのです。
そしてこの中でも最強クラスと言われたのが前方後円墳です。
これを作った人はもう右に出る者はいなかったくらいに権力を示せました。
さらに、古墳の形だけではまだわからないと言わんばかりに装飾品をたくさん作ります。
埴輪や勾玉という品を次々と作り、古墳の中や外に飾っていったのです。
つまりおしゃれな古墳を作れば時代に乗っているくにのリーダーとなれたわけです。
その中でもあるスーパーなリーダーは全国に権力を示すため、自分の名前が書かれた剣を色々なくにの古墳に入れたという話もあります。
そいつは関東から九州まで権力を持ったとも言われているスーパーなリーダーだった。
ということでたくさんの古墳と装飾品が生まれました。
古墳ができたからこその今の日本がある。
そして一番すごかった古墳がこれです。
大阪の堺市に今尚残っている「大仙古墳」です。
これの何がすごいかって、大きさはさることながら、その周りに攻め入ることができないように堀をわざわざ作っているところです。
そしてなぜ、この古墳が重要かというと、この当時、大阪や奈良のあたりの大和地方というところに大きなくにのリーダーがいました。
それが後に「天皇」と呼ばれる日本全国で一番偉い人になるのです。
つまりこの古墳は天皇のお墓なのです。
だから今の日本のトップを作り上げた古墳時代は重要な時代なのです。
さらにそれだけではなくこの大和地方を中心にして天皇と天皇の側近たちが日本で初めての政治を行います。
日本の国を治めるための政治をする「大和朝廷」の誕生です。
そうしてお墓作りのトップに立った大和地方の人間たちによる日本の国づくりが進んでいくのです。周りの国々の人達もこの政治に逆らっては争いごとに巻き込まれるので下手に政治の言うことに逆らうこともできなかったのです。
まとめ
古墳時代は
- くにのリーダーたちが争いの代わりに権力を示すための古墳作りに奮闘した時代。
- 古墳には色々あり前方後円墳が最強クラス。それに付け加えて埴輪や勾玉などの装飾品があればなお最強。
- 「大仙古墳」を作った大和地方のリーダーはのちの「天皇」となり「大和朝廷」を作って政治を行った。
追伸(リーダーと言っていたが、問題などには弥生時代にも説明した大王のことを指す)
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