平安時代の前半は貴族中心の政治が行われていましたね。
その貴族中心の政治から急速に変化していきます。
その様子を見ていきましょう!!
武士の出現
貴族中心の政治の時に、文化として出てきたものがあります。
武芸
です
武芸とは今でいう剣道などのもので、それを貴族が見て楽しむというものです。
そしてその武芸をしている人たちは貴族のボディガードとしても活躍します。
これが元々の武士の成り行きです。
つまり、貴族の都合で貴族を楽しませたり、守ったりするというあまり主体的に何かをするというポジションではなかったのです。
しかし
ここで日本全体の政治の仕組みが大きく変わったことがありました。
それは
貴族の政治がパンクしたのです。
当時は中国に習って、中央集権国家、貴族の政治に逆らえないようなものでした。
ですが、荘園制度があったように、地方のことは地方で守っているのだから、中央から口出しされても従いません。ということになっていったのです。
それと、調子に乗っていた貴族の藤原氏にも人々は不満を持っていた背景もあると思います。
そして、貴族の政治にそっぽ向く地方の豪族たちがたくさん出現しました。
日本の政治の仕組みが中央集権国家から地方集権国家に大きく変わりました。
そうするとどうなるか。
「戦」のはじまり
です。
自分の身は自分で守る、そのためには他の地方から攻められても守れるものがないといけない。
そこで武芸をしていた者たちが武士として地方の豪族や貴族などに仕えたのです。
これが武士の出現です。
平氏と源氏の誕生
この武士の出現で最も焦ったのが、天皇と貴族です。
天皇は貴族のことをよく思っていない、貴族は天皇のことを政治をするための物としか思っていない。
ここで天皇は自分のところにたくさんの武士を集めて戦をし再び自分たち中心の政治をしようとしました。
貴族もそれに黙っていないでしょう。特に藤原家は大きな権力を持っているので武士をたくさん集めます。
そしてそのいざこざが戦へと変わっていくのです。
そこで武士が命をかけて戦をしました。
当然、命をかけるので
「こいつらすげえ、報酬をやらないと」
と自然になりますよね。
そうして武士の地位が急速に上がります。
そして武士は武士の集団を作っていきます。それが
武士団
です。その中でも天皇や貴族にゆかりのある武士の一族が
平氏と源氏です。
この二つの武士団が皇室争いなどのゴタゴタに先陣を切って戦をさせられていきます。
そこにたくさんのストーリーが生まれていくのです。
ちなみに平氏と源氏は最初は仲間であり、当時の地方豪族の反乱を鎮める役目であった武士団だったことを覚えておくと、この物語に感動がついてくるような気がします。
平氏の最強時代
平氏の最強時代の立役者といえば
平清盛
です。
ではどうなって最強になっていったのか
まず平氏と源氏が仲間だったというのは話しましたが、その二つの武士団が対立する出来事がありました。それが
天皇と上皇の権力争いです。
当時の天皇、後白河天皇
当時の上皇、崇徳上皇
この二人が権力を握りたいということで、派遣された武士たちが平氏と源氏です。
ちなみに天皇と上皇の違いは社長と会長だと思っていたらわかりやすいと思います。
会社を社長に任せたはずだったけどやり方に不満を持ち、また会長が会社の実権を握ろうとする戦いですね。(大塚家具みたいなもん)
その戦いの名が
保元の乱
です。
ここでは天皇側に平氏、源氏がついて戦をしたので、上皇側は大敗します。
ここまでは仲良くしていた二つの武士団ですが、権力というのは虚しいもので
なんとこの戦いでどちらとも頑張ったはずなのに、天皇と縁が深い平氏に権力が集中します。
そこで当然不満に思った源氏側が平氏を滅ぼすためのクーデターを起こします。
それが
平治の乱
です。
しかし、平治の乱で勝ったのは源氏ではなく、平氏でした。
それを仕切っていた人が
平清盛だったのです。
「あいつら、強すぎる」
そう思った人々。。。
そして天皇も恐れるようになり、平清盛が政治の権力まで握ってしまいます。
これで政治が天皇中心→貴族中心→武士中心という風に変わったのです。
平清盛は太政大臣という地位につき政治を牛耳ります。
さらに広島にある、厳島神社を作り自分の権力の見せしめまでします。
もうここまでされると誰も逆らうことができないとなるはずです。
しかし、
平清盛は一つだけ大きなミスを犯してしまっていたのです!!
それが
源氏に生存者をつくったことです。
実は平治の乱で勝利した平清盛は源氏を次々と殺していきましたが、なぜか源氏の一人を殺さずに島流しで留めた人物がいます。
その人物は
源頼朝
です。
源頼朝は当時子供だったので生かしておいたのかもしれません。
ここからは僕の憶測でしかないですが、
平氏と源氏はもともと仲間だったし、平清盛もそれはわかっていたと思います。だから源氏を根絶やしにはしないでおこうと思ったのかもしれません。
たとえお互いが敵になろうとも仲間の絆は深かったのかもしれませんね。
そう考えるとすごく歴史は楽しいなって思います。
源氏の逆襲
少し話が逸れましたが、源氏は滅ぼされたわけではなかったのです。
源頼朝は父を平氏に殺されたことから復讐を誓います。
そして島流しをされた日からずっとそのことだけを思い続けて成長していきます。
復讐の計画を練りながら立派に成長した頼朝はとうとう復讐を実行に移します。
まず仲間集めをします。
当時、平清盛に少なからず不満を持っている武士たちはいました。
その人たちを仲間にしました。
それとある助っ人を用意していました。
その助っ人が
源義経です。
義経は頼朝の弟です。それと義経は別名「牛若丸」と呼ばれた人物です。
一度は聞いたことがあると思います。それぐらい戦において強い武士だったのです。
頼朝は計画を練る軍師、義経は戦を牛耳る大将軍。
これは鬼に金棒です。
こうして戦の準備ができ戦を仕掛けていきます。
戦の舞台にしたのが関東です。
関東からだんだんと関西、九州に追いやっていく作戦でした。
これがズバリ的中します。
関東に平氏の政治に不満を持つ武士が多くいたので数で圧倒します。
そしてどんどん追い詰めていく最中でどんどん仲間を増やしていきます。
義経の強さに惚れ込む人たちが多数いて、もう押せ押せ状態に。
そして戦の途中で平氏の最強であった人物、平清盛が亡くなります。
これでもう平氏はほぼ負けが確定してしまいます。
この時から、頼朝は戦に参加しなくなります。なぜなら、次に自分が政治するため制度づくりを始め出したのです。だから義経に戦を任せます。
そして最後の戦い
壇ノ浦の戦い
をして見事勝利し、平氏を滅ぼしました。
これで源氏の逆襲が完成しました。
しかし悲しい出来事が起こります。
源義経が殺害される。
これは次回お話しします。
まとめ
貴族の遊びで武士が出現し、その武士が天皇の権力争いに駆り出されて、武士が政治を握っていくという、なんとも儚くて、人間の嫌な部分が見えるような平安時代後半でした。
しかし、それがまた人間なのです。
歴史はこれの繰り返しです。憎しみが憎しみを生み、どんなにわかり合おうとしてもわかり合えない。
なんとも虚しい物語ですね。
でもいつかみんなが分かり合える世の中にしようと思っている人たちの物語であるということも忘れないでください。
今私たちがここにいられるのもこうして人間たちが努力し、失敗を繰り返してきた結果だと思っています。だから私はこれからも歴史は忘れてはならないものだと思っています。
話が逸れましたね。
平安時代後半は
平氏と源氏という有力な武士団ができ
当時の平氏のトップ平清盛が数々の戦を勝利し、平氏が実権を握りました。
平氏に父を殺された源頼朝が逆襲を誓い、弟、義経と一緒に平氏を滅ぼしました。
そして平安時代は幕を下ろします。
コメント