どもどもryoです。
今日も青天を衝けの面白ポイントを紹介していこうと思います。
渋沢栄一世界へ
渋沢の次なる舞台はパリです。
パリの博覧会に選ばれたメンバーと行くのです。
船の長旅を経てたどり着いたパリに感銘を受けていました。
この当時の日本人はパリの風習をなかなか受け入れられなかったのでしょう。コーヒー1つ運ぶだけでも毒が入っていないかを毎回チェックしていた描写があることからパリの人は日本人を相当下に見ていたことでしょう。
博覧会にはすごいものばかり。私も知らなかったのですが、この当時にもうエレベーターを開発していた世界はもはや日本なんて相手にしていなかったと言えますね。
渋沢栄一はこれに負けていないと意地をはることはせず、負けたと認めていたところからやはり、自分の負けを認めるのが偉人への第一歩なのかもしれませんね。勉強です。
ばかにされている日本
やはりこれだけの差を見せつけられ肩身も狭い日本はもはやばかにされる他なかったのかもしれません。
まず一つは言語の違い。ヨーロッパの国々、アメリカは英語を平気で使いこなせていたのに対し、あまりにも日本人は使いこなせる人が少なかったのです。
次に日本は小さな島国にも関わらず、国としてではなく、連邦国として紹介されていたことです。当時幕府意外で動いていた薩摩軍が違う名前で博覧会に薩摩の物品を出品していたと言う事実もあったからではありますが、明らかに下に見られている証拠でしょう。
最後にうまいように世界に手玉としてとられていたことです。とられていたというよりかはとられるほか日本の生きる道がなかったからでもあります。先ほども言いましたが、やはり栄一の言う通り、世界の差が歴然でしたので、従うしかなかったのです。
これだけばかにされていた現実がありながら、戦争という形としては決してダメですが、日本が世界と渡り合えるようになったのは間違いなくこの時の栄一をはじめ、たくさんの日本人が泥水を飲みながらも世界に食らいついていった結果なのでしょう。
だからこそこの時代のことを知るのは日本人として大切だなと改めて思い、ますますこれからの青天を衝けが楽しみになりました。
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